ぶんたん(文旦/ブンタン)

2022/12/12

ぶんたん(文旦/ブンタン)

土佐文旦

 

「土佐文旦」とは?

学名はC.maxima Osbeck forma Tosabuntan

鹿児島県姶良郡加治木町、医師の法元(ほうげん)宅にあった古木を鹿児島県果樹試験場が枝を採取し、試験場内に植え付けられました。

その後、高知の文旦は昭和4年に開設された高知市朝倉の高知県果樹試験場に法元文旦のラベルで苗木をつくり植えたものが原木です。
土佐市北原地区の高橋氏が穂木を貰い受け、高接ぎとして導入された。(しかし、度重なる寒波により枯死)

 

土佐市宮ノ内地区の宮地文弥氏により昭和16年、苗木として宮の内口に植え付けられました。
同時期に十数本の苗木が先進の農家に配布され、数か所に分布いたしました。
その後、宮地御子息の正憲氏、和夫氏兄弟により栽培の基礎を築かれ、県下に広がり、各諸氏により日々技術革新が行われ今日に至っております。

 

鹿児島県果樹試験場の「大橘」(オオタチバナ)、熊本県のパール柑、と同一品種あるいは同一グループの文旦と考えられる。

近年、導入に関しての諸噂がありますが、文献として記載され残された物は、情報は以上のようになっております。

 

主産地の割合は高知県が全国で90%以上を占め、そのうち土佐市が約半分です。
最近では幡多地区の宿毛市や須崎市、香我美町、安芸市など県下一円に広がりつつあります。

 

露地物の土佐文旦は酸味と糖度のバランスに優れ、爽やかな味わいで、果肉がプチプチと食感が良く、甘過ぎず酸っぱすぎず、幾らでも食べる事が出来ると人気になりつつあります。

気品有る果肉はまるで真珠の様で、九州ではパール柑とも言われています。

 

また、昭和58年頃より土佐文旦の温室施設(グリーンハウス)での栽培が始まりました。 白木果樹園も昭和58年に生産を始めお歳暮などで重宝がられています。
露地物と比べ糖度が高く濃厚な味わいで、独特の土佐文旦の芳香が漂い美味しそうなイメージを作り出します。 園主お勧めの逸品です。

園主と土佐文旦

 

ぶんたん類の来歴

ぶんたんはマレー半島からインドネシアが原産といわれるが、確実な野生系統は知られていない。

 

中国南部には早い時代に伝晩し、日本には江戸時代に南方から果実(種子)で持ちこまれ、実生から独特の品種が生じた。
ザボンの名はポルトガル、スペイン語のZamboaの転訛語で、Zamboa はセイロン語でjamboleに由来するという。
ぶんたん(文旦)は中国語に由来し、洋梨系や倒卵形のもののみを指すという。

岩政博士によれば「旦」は俳優を意味し、文という俳優さんの庭園に見事なぶんたんがあったことから、この名が生まれたという。
主に、東南アジア、中国南部、台湾、日本で栽培され品種が分化発達した。
自然発生した雑種が多く、大部分の優良品種は長い栽培歴史の中で淘汰、 選抜されてきたものと考えられる。

 

文旦の事を、分旦や文担、分坦などと漢字を間違って書いている方がいらっしゃいますが、「文旦」が正式な漢字です。

 

この資料はぶんたん博物館(当、白木果樹園、白木浩一) の調査したもので無断で使用することはお断り致します。
もしこの資料をお使いになる場合は必ず当、白木果樹園にご相談を御願いします。
この資料は次の中から抜粋させて頂きました。

 

「柑橘栽培新説」薬師寺清司氏書、昭和37年初刊発行。
果樹全書「カンキツ」農文協、昭和60年発行。
くらしと農業「土佐の文旦」高知県農業改良普及協会、平成7年発行。
特産くだもの「ぶんたん1」「ぶんたん2」(社)日本果樹種苗協会、平成4年発行。
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白木果樹園